HISTORY 歴史

明治40年10月大阪市西区(後に分区され此花区になる)に政岡土地合資会社を設立し
土地賃貸業を始める。
昭和12年3月政岡土地株式会社に改組。
昭和44年10月資本金1億円に増資。
昭和59年4月全額出資の子会社、政岡土地管理株式会社を 設立。 
平成18年1月政岡土地管理株式会社を 吸収合併。

COLUMN 此花区梅花・四貫島の歴史

明治4年頃、
当時の政岡家当主(政岡徳兵衛)が
四貫島新田四十五町歩を取得し農地として小作料を取り賃貸していた。
その後、住宅用地等の需要から四貫島新田を埋め立て、
その一部を道路や公共施設に提供し、商業地・住宅地として今日に至っている。

当地では大阪市の区画整理事業が行われる昭和52年頃まで
正岡町、梅香町、宗安町、徳平町等、政岡家ゆかりの名が町名として使われていた。
宗安・梅香は四代目政岡徳兵衛夫妻の法名、徳平は徳兵衛を改めたものである。
現在の梅香1~2丁目、四貫島1~2丁目、春日出北1丁目がそれにあたる。
四貫島の地名の由来には複数説があり、
前所有者が銭四貫文で取得したとの説、昔四官という唐人が住んでいたとの説、
漁夫が海岸から観音像を掘り出しこれを奉って止まる観音から止観島という説、
いずれにせよ古くから四貫島の呼称はあったようである。
(此花区史より抜粋)

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